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16-18世紀ポーランドの男性貴族の衣服について #1: ジュパン


概要

16世紀から18世紀にかけてのポーランドの男性貴族が着用していた衣服の話をする. この期間で流行した衣服の代表的なものに, żupan (ジュパン), delia (デリア), kontusz (コントゥシュ), ferezja (フェレジャ) の4つがある. 今回は, 最も普遍的な żupan について, 特に17世紀の頃の特徴を中心に解説する.

続きは以下になる.

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はじめに

16世紀末から18世紀にかけて, ポーランドの男性貴族の間で, 他のヨーロッパ諸国とは異なる衣服が流行した. はじめはハンガリー (図 1, 図 2), ついでトルコの影響を受けたものであったが, やがて17世紀の終わりには, そこから発展した, 完全にポーランド独自と言える衣服が流行した.








図 1: 『ポーランド人とハンガリー人』, 16世紀末, パブリックドメイン







図 2: 『様々な国の習慣』, 1581年, パブリックドメイン, 右上2名と右下1名はハンガリー人を, 左下から5名はポーランド人を表している.

この歴史的衣装に関する解説は, 2022年に書き始めてそのまま放置されていたものを, ようやく今になって完成させたものである. 同じ頃から書きかけにしているサーベルはまだ終わりが見えないが, 衣服はある程度まとまりがある内容になったので公開する.


4つの基本要素

16-18世紀のポーランドの貴族男性が着用していた衣装の名称の記録がいくつか残っている. それらの名称と, 大まかな特徴を述べる. 特に重要なのは, 以下の4つの衣服の名称である.

  • Żupan (ジュパン) - 裾の長いローブのような衣服で, 男性は日常のほとんどの場面で着用する.
  • Delia (デリア) - ジュパンの上に着るマントかコートのような見た目の衣服.
  • Ferezja (フェレジャ) - デリアとよく似た, ジュパンの上に着る衣服.
  • Kontusz (コントゥシュ) - 17世紀の終わり頃から18世紀の間にデリアやフレジャに取って代わって流行した衣服で, ジュパンの上に着用する.

今回紹介するのは主にジュパンである.


補足: ネット上の情報の不正確さ

これらの服装に関する情報は, インターネットで検索しても情報が乏しく, 見つけづらい. ここでいう情報が乏しいというのは,

  1. (日本語はおろか) 英語でもほとんど一般向けに紹介するための適切な文献がない
  2. ポーランド語の文献や発掘された実例ですら限られているため, 現地の人間でも理解度が低い

という2通りの意味がある. (1) に関する補足として, ネット上で見られる情報がいかに不正確であるかを述べておく. まあいつものウィキペディアを使った間違え探しである.


デリアではない例

すでに編集された記述だが, ウィキペディア英語版の記事 に, 図 3 がグスタフ゠アドルフ王がデリアを着用している肖像画であるという紹介文があった.








図 3: グスタフ゠アドルフ王の肖像画

これはデリアではない. どうしてこれがデリアだと主張できるのだろうか. どこにも出典がない. PL版にもそのような記述はない.


ジュパンではない例

図 4 はウィキペディアのジュパンの記事で参考画像として挙げられている, Aleksander Benedykt Sobieski の肖像画である. 17世紀末の作品と考えられている. この人物はポーランドの貴族だが, その服は襟が非常に低い, 胸に独特の房飾りがある, といったかなり特異なデザインである. このようなデザインはどの時代でも非常に稀なので, 参考画像としてはあまり良くないと思う. おそらく, 同時代のモスクワの流行を取り入れた服だ.








図 4: Aleksander Benedykt Sobieski の肖像画, 1690年代, パブリックドメイン

Żupan (ジュパン) についての基本事項

ジュパンは 16世紀から18世紀にかけてポーランドの貴族が着用していた上着である. 後述するようにデリアは形状が様々であるが, ジュパンは, 流行したおよそ200年の間, 大まかな形状はさほど変わっていない. デリアもコントゥシュもジュパンの上に重ね着される. 以下のような典型的な特徴を列挙できる. もちろん, 「典型例」であり, いくつかが当てはまらない個体もある.

  1. 膝下まである裾の長いローブ状の衣服である
  2. 赤・黄・青など鮮やかな染色で刺繍の入った絹製が多い
  3. 胸元を閉じた詰め襟
    • 初期の襟は高く, 18世紀以降はスタンドカラーのシャツのように小さくなっている (図 32).
  4. 現代の男性洋服とは逆に, 左前でボタンを留める
  5. 前身頃下部が斜めに裁断されている
  6. 特徴的な形状の袖
    • 上腕は太くだぶついているが, 前腕にむけて直線的にすぼまり, 袖口のボタンで留める
      • 急激にすぼまることはほとんどない, 再現衣装ではよくこのミスが見られる
    • 耳たぶのような袖口があり, 実際この部位は「犬の耳 (psy uszy)」と呼ばれている

もともと貴族の間で流行したので, 高価な絹製の, それも刺繍の入った豪華なものも多い. 一方で庶民向の着用した廉価な麻やウール製のもの存在したという (Turnau 1999).

18世紀以降のジュパンは保存状態の良いものがいくつも残っているが, 17世紀のものは少ない. 数少ない個体がワルシャワ国立美術館にある 図 5 や, 図 6 である. 図 7 はジュパンと, おそらく同じ生地を使ったデリアを羽織った人物の肖像画である. 絹織物特有の光沢と, 高価そうな刺繍がはっきりと描写されている.








図 5: 現存する żupan の実例, ワルシャワ国立博物館所蔵










(a) 1600年頃のジュパン, クラクフ国立美術館蔵






(b) クラクフ国立美術館蔵

図 6: 初期のジュパン, Drążkowska (2008) p49, 68 より, 無断転載禁止







図 7: Janusz Radziwiłł の肖像画 (1654年頃, パブリックドメイン)

また, ジュパン風の形状でパッドの入った鎧下らしきものの現物が, クラクフのチャルトリスキ博物館に残っている (図 8). おそらく戦争時に使用されたのだろう.1 だいぶ傷んでいるが, 博物館のページには赤い布の破片が残っていることがわかる画像があり, これももとは赤く染められた典型的なジュパンの色だったとわかる. これはボタンの数が少なく腰あたりに付いている帯で縛っていたようだ. 数年前に現地で展示されているものを観察し, こういった記述の通りであることを確認した (図 9) ほか, フックボタンや, 細部の凝った装飾の存在がわかった.








図 8: żupan 風の鎧下 (18世紀前半?, チャルトリスキ博物館展示)










(a) 襟






(b) 袖

図 9: żupan 風の鎧下, 筆者撮影, 無断転載禁止

(画像にいちいち無断転載禁止などと書くのはばからしいのだが, 著作権とか引用とかの概念を解さない人が一定数いるようなのでいちおう書いておく.)

生地にボタンホールをあけているのではなく, 紐で輪を作ってボタンを引っ掛けているという構造なので, 絵画では分かりづらいが, 前の合わせ部分は内側から順に, 左前身頃, 右前身頃, ボタンループ, となっている. しかし, 胸より下の裾部分を見れば右が外側にあることがはっきりとわかる. 裾の端は斜めに裁断されていることが多い.


レプリカを使用した解説

博物館の展示品の撮影だけでは説明できない箇所もあるので, 現代の再現例を紹介する. 図 10私がポーランドの職人に注文して作ってもらったジュパンである. ジュパンの色で人気のあるものは赤色だが, 黒色のジュパンも当時の絵画にいくらか見られる.2 このジュパンはおそらく1630年ごろに作られたものの再現パターンを参考に作られているが, この資料には後身頃が書かれていない. このパターンは市販されている (Reconstructing History (2004)). 18世紀頃のパターンも2つ公開されている3. ジュパンの構造はとてもシンプルで, 胴体は前後左右3枚のパターンのみで, それに襟と袖が分かれているだけである.4








図 10: ジュパンのレプリカ, 筆者私物, 筆者撮影, 無断転載禁止

図 11 がジュパンの前合わせである. ほとんどのジュパンは左前で, ボタンは右縁に取り付けられ, 左側にボタンループを取り付けている. 首元とボタンの下端あたりの裏地にスプリングフックがついている. ボタンの代わりにスプリングフックで留めるものは当時から存在すると見られるが5, こういう付け方が当時からあったかは分からない.








図 11: ジュパンの前合わせ, 筆者撮影, 無断転載禁止

ジュパンは扇形になっており, かつ前身頃の縁が斜めに裁断されているものがほとんどである. そのため足を大きく広げた姿勢でも裾の縁が垂直になる (図 12).








図 12: ジュパンの裾はかなり広い, 被写体は筆者, 無断転載禁止

ジュパンを広げると裾は3m近い弧になる (図 13). この画像では分かりづらいが着たときに裾の両側面にあたる場所に20cm程度のスリットがある.








図 13: ジュパンを広げたもの, 筆者撮影, 無断転載禁止

袖は付け根付近が太く, 袖口付近は細く, 多数のボタンで留める. このため袖がぶかぶかでもあまり邪魔にならない. ボタンではなくフックの場合もあるが, いずれも 3~8個と現代のシャツと比べるとかなり多い. 太さの強弱がもっと極端なものもある.6 この袖のシルエットは, 図 14 に見られるように, 袖の布が台形のような形に裁断されるために発生する. また, 袖が過剰に長く膝まで届きそうな個体もある. しかしいずれも, 袖口を絞っているので滑り落ちることはない. 全般的に袖をだぶつかせるのが当時の流行だったようだ.








図 14: 当時のジュパンのパターンの例







図 15: ジュパンの袖, 内側, 筆者撮影, 無断転載禁止

袖口には手の甲を覆うような「犬の耳 (psy usze)」と呼ばれる. この形状にもいくらか種類があるし, 中には全く目立たない大きさの場合もある (図 17).

しかしその後, 剣術を教わっている人から「これは19世紀的なデザインなのでちょっと違う」という感想をもらった. 確かに, 布の分け方や襟の形に違和感があった.

図 16 はその話を踏まえてその後, 別の職人に作ってもらったものである. ただし, 演武用に作ったものであるため, こちらもまた歴史的な再現を追及する目的のものではない, という点に留意してほしい. 襟の形は前者より17世紀風になっているが, 一方で布の余りが少ない, 袖のすぼまり直線的ではない, 裾のスリットがない, という違いがある. しかし, 後ろ身頃を背中の中心で分けずに1枚の布で作るというのは, 17世紀のパターンに則した適切な作り方である.











(a) 正面






(b) 広げると扇形になる

図 16: 私物ジュパンその2, 筆者撮影, 無断転載禁止

「犬の耳」は手の甲の簡易的な防具であり, 折り返すものだ, と考えられている.








図 17: ジュパンの袖口の形状の例, Drążkowska (2008), p59 より, 無断転載禁止

ジュパンに使われるボタンは, 現代よく使われる円盤型ではなく, トグルボタンあるいはシャンクボタン (足つきボタン) に近いもので, ポーランド語では guzy と呼ばれる, さらに, 生地にボタンホールを開けずにボタンループが取り付けられる. 17世紀は鶏卵や球根のような形状, 18世紀は洋梨のような形状のものが流行し, 宝石の散りばめられた金属細工や, 絹布を使ったくるみボタンや, 瑪瑙や琥珀の粒が使われている例もある. 私物のジュパンその2には, 袖口にボタンがない. 腕甲など防具を付ける際にボタンがあると出っ張って邪魔だから, らしい.

ただし, この画像の参照元は古いので, 現在ではジュパン用ではなくデリアやコントゥシュに使われるものとされているボタンもある. デリアに使われるボタンはより大きく, チャプラガ (czapraga) と呼ばれる.








図 18: ジュパンのボタンとして使われた金具, Gutkowska-Rychlewska (1968) より, 無断転載禁止

裾の長さはいろいろある. 現代の reenactament をする人たちは膝丈より上のものを着用している人も見られるが, 貴族たちの肖像画では顕著に長く, 常に膝下でくるぶしまで届きそうなものすらある. しかし戦場ではそこまで長いと邪魔そうである. 現存する 図 5 は布の織り方がかなり手が込んでおり, 戦闘用ではなさそうだが, おそらく膝丈ではないか.

図 19 はグジシュトフ゠ヴェショウォフスキ (Krzysztof Wiesiołowski) の肖像画であり, 比較的丈が短いジュパンが描かれている.








図 19: Krzysztof Wiesiołowski の肖像画, パブリックドメイン

腰帯について

ジュパンのへそ周りに帯を締めることがあった. Gutkowska-Rychlewska (1968) によると, 17世紀頃は仕立てる際に余った布を帯にすることもあったらしいが, 必ず帯を着用しているわけではなかった. しかし, 18世紀になると絵画に描かれるほとんど全ての男性貴族が刺繍のある布を腰に巻いている. 17世紀中は kontusz をあまり着用しないため, 人によって布帯の上に佩刀用の革帯を巻いていたり, 逆に上から布帯を付けていたり(図 7), 布帯を付けていなかったり, 両方見えるようにしていたりする. ポーランドでこの帯の再現品を作って販売している人に直接会う機会があった. その際に, 帯の着用方法は一定ではなく, さまざまな折り方, 結び方があることが絵画からわかる, という話を聞いた. そしてこの特徴は, ウィキメディアなどネットで出回っている画像の解像度では確認できないものが多い. 図 21 は現存する18世紀ごろのもので, 図 22 はレプリカである. 個体差はあるが, 現存するものはどれも 3m 前後ある. 現存する個体は多く, ポーランド軍事博物館・ワルシャワ国立博物館・チャルトリスキ美術館など, ポーランド各地の博物館で展示されている. 特にポーランド軍事博物館では試着ができる.

両面に刺繍があることも, これらの腰帯の大きな特徴の1つである. こういった特徴のある帯は, 「コントゥシュの帯」 という意味で "pas kontuszowy" と呼ばれたり, 著名な生産地にちなんで (実際の生産地に関係なく) 「スウツクの帯」という意味の "pas słucki" と呼ばれたりした. 今回は Kontusz の話をしないため, ここでは「スウツク帯」と呼ぶことにする.








図 20: ヤン゠ザモイスキ (Jan Zamoyski) の肖像画, 作者不明, 16世紀末







図 21: 18世紀のスウツク帯, ポーランド軍事博物館の展示, 筆者撮影, 無断転載禁止







図 22: 18世紀風のスウツク帯のレプリカ, 筆者の私物, 無断転載禁止

現存する絵画に描かれる帯の巻き方や結び方は多様である. 図 23 は一番簡単なものの1つである. 幅が広いものは, 2つか3つに折って巻くことを想定した文様になっていることが多い.








図 23: ジュパンにスウツク帯を巻いた場合, 筆者の私物, 無断転載禁止

これは帯を巻いている様子である. 製作者も関わっているようだ.

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このような精巧な模様を編み込んだスウツク帯は, 中近東の文化に触発されたもので, 帯を作る工房や職人はペルシャルニア (persjarnia) と呼ばれた.

クラクフのヴァヴェル城をはじめとするポーランド国内の史跡・博物館の売店ではたいていこの帯をモチーフにした, 巾着やランチョンマットや栞といった小物が売られている. スウツク帯のレプリカ自体はこういう場所で見かけたことはないが, いずれも同じ企業が作っている.

「スウツク帯」は後にポーランドが主権を失い, 19世紀以降にナショナリズムが高まった際にも復興し, カマーバンド代わりに西欧風のスーツと合わせることが流行した.


キャソックとジュパンの根本的な違い

ところで後から気づいたのだが, 黒いジュパンにするとカトリックの聖職者が着るようなキャソックと混同されそうである. あるいは長ランとか特攻服とか昔の不良が着ているようなやつかもしれない. ということで, ジュパンとこれらの衣服の違いにも触れておこう.

  • キャソックは長い帯を垂らすが, ジュパンではそういう着方をしない7
  • 袖の裁断が違う. おそらくキャソックは袖の長さがほぼ一定の長方形である. ジュパンは付け根を斜めに裁断しているので袖口が大きくなる. また肩のラインもゆるやかで, キャソックや学ランのように鋭角にならない
  • キャソックは裾までボタンがある ジュパンは低くともへその上までしかない. 加えて既に書いたように布にボタンホールを空けないなどボタンの取り付け方に特徴がある

特に最後が, キャソックとジュパンの用途の違いに起因する, 最も重要な差異である. ジュパンはポーランド貴族男性の服であるので, 乗馬できることを想定している. へそや骨盤より下まで服が閉じていると, 股を開いて乗馬した際に服が引っかかり動きづらい. そのため, ジュパンは全てへそより上までしかボタンがない. ここまでの記述を見れば, 図 24 のようなキャソックとの違いがよくわかることだろう.








図 24: Charles Borromeo のキャソック, 16世紀, パブリックドメイン

レンブラントによる “De Poolse ruiter” (図 25) は, 主題となる人物の詳細がわかっていないものの, 衣装にはジュパンと共通する特徴が多い.








図 25: De Poolse ruiter, パブリックドメイン

例外

例外的な実例も紹介する. これらの多くはポーランドというよりハンガリー (トランシルヴァニア) やロシア (モスクワ) といった近隣地域とも重なる可能性がある.

ヤン゠マティコの作品 (図 26) も参考になる. 彼は19世紀の人物だが, 当時の絵画などを参考にしていろいろな服装の人物を年代別にまとめて描いているので比較に便利である.








図 26: 1576-1586年のポーランドの大貴族, ヤン゠マティコ画

Dolmány (ドルマーニ) について

ジュパンやデリアといった17世紀ポーランドのファッションは, 16世紀後半にヤゲウォ朝の男系が断絶した時, ヤゲウォ朝最後の王女アンナの配偶者兼共同君主としてトランシルヴァニアの貴族だったステファン゠バートリが推戴されたことがきっかけになったとされている. つまり, これらはステファン゠バートリが持ち込んだトランシルヴァニアのファッションが元になっている.

ジュパンは, ハンガリーでは dolmány (ドルマーニ) と呼ばれていた衣服が元になっている. 同時代のハンガリーの流行を見ると, ドルマーニはジュパンとよく似ているが, (1) 丈が膝上くらいで短く, (2) 胸にリボンや金具などの飾りがついているものが多い, という特徴がある (図 27, 図 28). この dolmány という単語はドルマン (dolman) の語源であり, 19世紀以降の西欧では, 胸に紐の飾りを縫い付けた騎兵用の上着, いわゆる「肋骨服」を指す言葉として使われる. 17世紀当時のドルマーニにも似た飾りが見られる. この頃は紐ではなく, 絹糸で編んだ薄いテープを縫い付けることが多かったようだ.




図 27: ドルマーニ, ともにブダペシュト応用美術館所蔵







図 28: Apafi Mihály の肖像画, パブリックドメイン

さらに遡った16世紀の時点でも, ハンガリーにはすでに似たような服が流行していた. 図 29 は16世紀半ばの, ハンガリー風の格好をしたイッポリート゠デ゠メディチの肖像画である. 襟の高さが特徴的である.








図 29: イッポリート゠デ゠メディチの肖像画, 1532-1534年製作, パブリックドメイン

マクシミリアンI世の軍勢を描いた木版画にもハンガリー人兵士が描かれている (図 30). 彼らの衣装も似ている.








図 30: 皇帝マクシミリアンI世に率いられるハンガリー人兵士たち, 1516-1518年製作, パブリックドメイン

ゲーム Hellish Quart のキャラクターである László (ラースロー) はハンガリー人という設定のようで, 衣服の襟・ボタン・袖口の形状などジュパンの特徴と多く一致する (図 31). 一方で, よく見ると襟の形に特徴がある. うなじを覆うように背筋部分が高くなっている襟は比較的初期のジュパンによく見られる流行である.








図 31: László というキャラクターのジュパンあるいはドルマーニらしき衣服

だが, 裾が長い上に, 浴衣のように合わせが途切れているため, 少し不自然である. こういう襟の個体も現存しているのか, スキャンに際しての技術的問題なのかはよくわからない.

Darek Rybacki 氏が動画で着ている服も, ハンガリーの流行の影響が残る比較的古い時代のジュパンを再現したものだろう.

- YouTube

初期のジュパンもこのハンガリーの高い襟を引き継いでいる. 正面が低く, 後頭部は項を覆うように高くなった独特の立て襟がついたものが多い.

図 32 は, 16世紀初頭のオルシャの戦いを描いた絵画の一部分である. 右上以外はポーランド騎兵を表している. 彼らの服装は同時代のハンガリー人のものとよく似ている.








図 32: 『1514年9月、オルシャ (Orsza) の戦い』の部分, 1524-30年頃の作品, ワルシャワ国立博物館所蔵, パブリックドメイン

その後のジュパン

ジュパンは時期によって更に細かい特徴の差異がある. 図 6 は比較的初期のジュパンで, いずれもボタンがほとんど胸のあたりにしかない. 現代の再現ではこのタイプはあまり見られない. おそらく既に書いたように1630年版のパターンが広く流通しているためだと思われる. その後は時代が下るにつれ, ジュパンの襟は小さくなっていく. 図 33 は, 18世紀のジュパンとコントゥシュである. 襟は小さくなり, 近代的なドレスシャツのようになりつつある. 18世紀のジュパンの詳しい話は, コントゥシュの説明と合わせて行うことにする.








図 33: 18世紀のジュパンとコントゥシュ, ワルシャワ国立博物館所蔵, 筆者撮影, 無断転載禁止

パンツ

現代の再現例ではジュパンの下にシャラヴァリ (szarawary), いわゆるサルエルパンツを着用している例がかなり多いが, 17世紀の絵画では, ヨーロッパのより西側の各国と同様に, 足の輪郭が現れるショースのようなものを着用している場合が多い. 実際, この投稿でここまでで掲載したものは全てそうだ. 少なくとも, 現存している絵画ではほとんど見られない. 現存している実物も少なく, 図 34 はそのうちの1つである. 現存しているものが少ない理由の1つには, そもそも当時の貴族はパンツにあまり関心がなかったというのもあるかもしれない. 十数着も上衣を持っているのにパンツは2, 3着しか持っていない, という事例もあったという.








図 34: 現存する17世紀の男性用パンツの1つ, Drążkowska (2008) p87 より, 無断転載禁止

そもそも丈の長いジュパンとブーツが一緒だと下半身がどうなっているかわかりにくいという問題があるが, 『ストックホルム絵巻物』では揃ってジュパンを着た兵士が行進している様子が描かれている. これは17世紀初頭のポーランドの軍隊を描いたものと考えられている.

騎兵や指揮官, 歩兵などいろいろな人物が描かれているのでかなり資料として良い. 特に 図 35 に見られる歩兵は大股で更新しているので, 足元がどうなっているのかわかりやすい. この通り, ほとんどは同時代の西ヨーロッパのように足の形にぴったり合ったショースらしきものを履いている.








図 35: Stockholm Roll の抜粋、ジュパンを着た兵士が行進している

シャラヴァリを着用していた例は, 実は限定的に存在する. 17世紀の後半から, 18世紀の冒頭の, 限られた期間にのみ流行していたことが伺える. 1697年の国王選出会議を描いた絵画では, 多くの登場人物が, シャラヴァリらしきゆったりしたパンツを着用している (図 36). さらに以下の記事では, シャラヴァリのようなゆったりしたパンツを着用している人物が, 1670年代を境に見られるようになったと書いている. そして, 1672年のホチンの戦いで, 敗走したオスマン帝国から大量の戦利品を得て, それがポーランドでトルコ趣味の流行するきっかけになったのではないか, という説を紹介している.

kresy.pl








図 36: 『1697年の国王選出』の一部分, Martino Altomonte 作, 1697年頃の作品



参考文献



Brzezinski, Richard, and V. Vukšić. 2006. Polish Winged Hussar, 1576-1775. Warrior 94. Oxford: Osprey.

Drążkowska, Anna. 2008. Odzież grobowa w Rzeczypospolitej w XVII i XVIII wieku. Wyd. 1. Toruń: Wydawn. Naukowe Uniwersytetu Mikołaja Kopernika.

Gutkowska-Rychlewska, Maria. 1968. Historia Ubiorów. Zakład Narodowy im. Ossolińskich.

Reconstructing History. 2004. 16th-17th Century Polish Gown Zupan.

Turnau, Irena. 1999. Słownik ubiorów. Warszawa: Semper.

脚注

  1. 当時の軍隊の装備が知りたい場合は英語なら Brzezinski and Vukšić (2006) がある. それ以外はほぼポーランド語しか知らない.↩︎

  2. 典型的な赤色は派手すぎて着るのが恥ずかしいと日和った結果黒にしたのだが, むしろ中二病感が出てしまった気もする.↩︎

  3. https://www.wilanow-palac.pl/files/70_toiowo-sites-wykroje.html#zupan↩︎

  4. ただし, 胴体部分の布が大きくなるため,端に小さな布が継ぎあててられることが多かったらしい (Reconstructing History (2004))↩︎

  5. 歴史衣装の再現を行っている Tomasz Łomnicki 氏のブログが参考になる https://www.lomnicki.pl/post/zielony-%C5%BCupan-hajducki ↩︎

  6. なおウィクショナリー日本語版 (https://ja.wiktionary.org/w/index.php?title=%C5%BCupan&oldid=1550355) には袖が狭いと書かれているが, このように誤りである. 参考画像を見てないのだろうか? もっとも参考画像も典型的なジュパンとは言えないが.↩︎

  7. ただし海外の人はなぜか垂らしている. 少なくとも当時の絵画ではそういう着こなしをしているものは見つからない↩︎