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「グヤーシュにクミンを入れないで! グヤーシュはチリじゃない!」

この記事は, note に投稿した 「グヤーシュにクミンを入れないで! グヤーシュはチリじゃない!」|SK と同一の内容です. 手動でコピペしたところを間違えていない限りは.

追記: 改めて検索すると, 思った以上にグラーシュやグヤーシュにクミンを使うと紹介する日本語のページが見つかった. 中には, それなりに知名度のありそうな人物が関わっているものもある. 本来のグヤーシュの, キャラウェイシードの香ばしい風味が日本でも正しく理解されることを願う.



要約

グヤーシュに入れるのはキャラウェイであってクミンではない. グラーシュも同様である. タイトルは Reddit の以下のスレッドの投稿からの引用である. とても美味なグヤーシュを作ったとしてレシピを紹介する投稿者に対し, 英語で書かれた材料にクミンがあるのはおかしい, それは誤訳だと指摘する内容になっている.

Please please don't put cumin in your gulyas! It's not chili!

https://www.reddit.com/r/instantpot/comments/8pvx9a/comment/mrv7msx/?utm_source=share&utm_medium=web3x&utm_name=web3xcss&utm_term=1

以降のこの記事に書いた内容のほとんどは, Blueskyのアカウントの投稿の再編集である.

チェコのグラーシュはチェコの人間から直接確認した, 現地で実際に複数回食べた, など十分に信頼できる情報の出処がある一方で, ハンガリー人の知り合いがいないため, 間接的な確認となった. それでも, グラーシュにもグヤーシュにもクミンを使わないという話には十分な根拠を示せた.


はじめに, という名目の昔話

先日 Vepřo-knedlo-zelo を作った. これはチェコの料理で, チェコでは料理にキャラウェイシードを多用する. しかし, 昔グラーシュを作るときにキャラウェイシードとクミンシードを間違えていたことを思い出した. グラーシュ (gulaš) はチェコの肉料理で, 名前からも想像できるようにハンガリーのグヤーシュ (guyás) が元になっている*1. 両者は傾向が異なるが, 共通点も多い. そのため, グラーシュもグヤーシュも表題の通りキャラウェイを使うものであり, グヤーシュ/グラーシュにクミンはまず使わない. クミンシードではなくクミンパウダーだなどという屁理屈も通らない.

Vepřo-knedlo-zelo, すなわち豚肉とクネドリークとキャベツである. 豚肉は胡椒とキャラウェイシードを振ってローストするものが典型的である.

私が初めてグラーシュを作ろうと試みたのは大学生の頃だった. 当時はチェコ語を履修していて, 最小限の初歩的な知識がある, という状態だった. そのため, チェコ語のWebサイトの機械翻訳を見ながらレシピを調べて作った. その際に, 機械翻訳されたサイトには「クミンシード」と表示されていた. グラーシュはトマトやタマネギも使用する. そのレシピに従い作った「グラーシュ」は, クミンを料理に使ったことのある人間ならば想像できるかもしれないように, 「カレーのような匂いのするビーフシチュー」となってしまった. そのことを当時チェコ語を教わっていた先生に報告したところ, 「何言ってるの?」といたげな, 不可解そうな反応が返ってきた. 所詮は収入の限られている大学生のため, 何度も作って真偽を検証する余裕はなかった. そのため徐々に料理に対する関心は冷めていった.

しかしその後かなりの年月が経ってから, なんとなく思いつきでチェコ語の単語 kmín (クミーン, のような発音になる) を調べると, 通常はクミンではなくキャラウェイを意味することが多い, ということを知った. キャラウェイとクミンは全く香りが異なるため, 出来上がる料理は全く異なる風味になる. 確かに先生はチェコ文学の専門家であるし, 経歴によればプラハ大学への留学経験もある (ここまで情報があると容易に特定できてしまいそうだが, 一応ここでは名前を伏せておく). しかし, 言語に詳しいからといって料理にまで詳しいとは限らない. キャラウェイとクミンの香りは全く異なるが, 見た目はほとんど変わらず, そして日本ではまず使わない. そのため, グラーシュに使うあの種のようなスパイスの名前はチェコでも日本でもkmínと呼ばれている, と先生が勘違いしている可能性がありそうだ.

さらに長い年月が過ぎ, ついにチェコへ直接乗り込んで現地のグラーシュを口にできた. 1日に最低一度は食べる勢いであったが, いずれもクミンやインドカレーのような匂いの漂う料理ではなかった. 更にその後, Kingdom Come Deliverance 2 関連で知り合ったチェコ人にも質問したところ, やはりクミンを使うのは「ありえない」という回答を得た. さらに, 「グラーシュにクミンは絶対入れないけど, おばあちゃん家のスパイス棚に5年くらい放置されたものなら, クミンもキャラウェイも違いがわからないくらい匂いが落ちてるだろうから間違って使うかも知れない」という謎ジョークが返ってきた.

明示できる証拠として, キャラウェイを使用しているYouTubeの料理動画をいくつか紹介する.

英語でいろいろなチェコ料理を紹介するチャンネルなので, 他人に布教するときによく紹介しているチャンネルから取ってきたもの

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再生数の多そうな動画から適当に取ってきた. この動画のように, グラーシュはマジョラムも加えることがよくある.

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ドイツ系のスーパーマーケットチェーン店の公式チャンネルで紹介されている. 登場している Roman Paulus 氏はチェコ出身の料理人であるし, 全てチェコ語で説明している. この動画でもマジョラムも加えている.

www.youtube.com



ハンガリーのグヤーシュ

ようやく本題のグヤーシュの話になる.

チェコ料理のグラーシュはハンガリーのグヤーシュが元になっている. チェコのグラーシュが日本人がビーフシチューに対してしばしばやるように小麦粉でとろみをつける一方で, グヤーシュはとろみをつけない, 牛肉や野菜を入れたスープの体になっているため, 見た目がかなり異なるが, 使用する材料は共通点が多く*2, こちらも「クミン」を使用することがよくある*3. ではこの「クミン」はどちらのクミンかというと, こちらもキャラウェイである. 例えば以下の動画は「BS日テレ料理動画チャンネル「BS4 Kitchen」」の公式チャンネルであり, ハンガリー大使館の関係者による料理の紹介である. ここでも, クミンではなくキャラウェイが使われている. 動画の最後にハンガリー大使まで登場して自国文化の宣伝を行っているほど力の入った内容だから, 信頼できるレシピだろう.

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本来は辛口のパプリカを使うものだが, 日本ではまず見たことがない. そのためか, このレシピでは辛いパプリカパウダーを唐辛子で代用可能だとしている.*4

上記のレシピを参考に自分で作ったグヤーシュ
実家でもこの作り方を布教する

これ以外にもハンガリーの料理動画をいくつか見た範囲では, 手順に多少の差異はあるものの, 使われている材料はほぼ同じで, キャラウェイを使うか, 全く使わないかのどちらかしか確認できなかった. クミンを使うものは見つからなかった.

ハンガリー人の直接の知り合いはいないので, 近隣国の知り合いに聞いた程度の確認しかできていないが, グヤーシュに関しては「普通はキャラウェイを使う, だがキャラウェイやクミンより辛口のパプリカを使うことのほうが重要だ」という回答を知り合いのポーランド*5から得た. ここまでの自分の推測と同じ結果である. 上記の大使館の監修したレシピと, 英語で検索するといくつも見つかるキャラウェイを使ったレシピと, そして誤訳の注意を喚起する投稿などからも, グヤーシュにはクミンを使うものだという根拠が見つからなかった.

例えばこの動画はそれなりに再生数が多い. キャラウェイを使っている

www.youtube.com

これもはドイツ系のスーパーマーケットの公式アカウントによる動画だが, 解説者がハンガリー語なので信用できるだろう (雑). この動画ではキャラウェイを使用していない. 当然クミンも使用していない.

www.youtube.com

この動画は英語の解説文が添えられているが, "carawayseed (cumin)" という矛盾した記述がある. たぶん翻訳者が間違えたのだろう. コメント欄では英訳の誤りを指摘し, キャラウェイが正しいこと, 混同を避けるために学名で書いた方が良い, という声が挙がっている.

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いろいろな文化の伝統料理の歴史を調査し, 古い時代のレシピを再現して紹介する英語のチャンネルでも, クミンではなくキャラウェイを使用している.

www.youtube.com

さすがにハウス食品はクミンを使うという過ちを犯していなかった. だが, マジョラムはどちらかというとグラーシュに入れるものではないだろうか.

housefoods.jp



(追記) ドイツの「グーラシュ」

ドイツの事情は詳しくないが, グラーシュまたはグヤーシュが広まっている可能性もあると思って, ついでに調べた. 近隣国であるし, かつてはチェコハンガリーオーストリア帝国の一部だったから, 文化的な交流は密だったことだろう. 果たしてドイツ語では Gulasch と呼ぶらしい.

この動画では, キャラウェイもクミンも使用していない. 人参やジャガイモを入れておらず, どちらかというとチェコのグラーシュ寄りである.

www.youtube.com

この動画もグラーシュ寄りに見える.

www.youtube.com

こちらはキャラウェイを使用している.

www.youtube.com

これらの動画を見るに, レモン皮をすりおろして香りを付けるというのがドイツ式の特徴のようだ.


グヤーシュにクミンという間違えがどこで発生したのか

この間違えが発生した原因は, 言うまでもなく機械翻訳である. あらためて確認すると, (Googleの) 機械翻訳ではしばしば, kmín をクミンと誤訳する. ハンガリーのグヤーシュでも同様の現象が見られる. むしろ英語で検索すれば, キャラウェイを使った問題のないレシピがいくつも発見されるし, 冒頭に挙げたように, 機械翻訳ではキャラウェイをクミンと誤訳することへの注意を喚起している情報も見つかる. となれば, よく調べずに機械翻訳の誤った出力を鵜呑みにしているか, あるいは現地語は理解しているが, 元々料理にあまり関心がなかったなどの理由で, 日本語の用法を知らなかったか, くらいしか思いつく理由がない.

しかし一方で, 日本語で「グラーシュ」「グヤーシュ」で検索すると, クミンを使うとか, キャラウェイとクミンを混ぜるとか, 不自然な作り方を紹介するページがいくつか見つかった. かつての私のようにチェコ語ハンガリー語のレシピ投稿サイトを機械翻訳しただけで決めつけてしまったのだろうか. 私自身もハンガリーにはまだ行ってないので現地のグヤーシュを味わったことがないが, どちらを使うかで風味は全く異なるものになるし, クミンを使うべきでないという傍証は既に多数集まっている.

私は, 「唯一の正解のレシピが存在して, それ以外の作り方は全て誤っている」と言いたいわけではない. 例えば, ハンガリー大使館のレシピは, 日本で入手できるパプリカの種類が限られていることを考慮したレシピになっている. これが本来ものでないから誤りだとは, 私は思わない. また別の例として, グヤーシュではなくグラーシュにはキャラウェイほどではないが, マジョラムも使われることがある (グヤーシュにマジョラムを使っている例は今のところ見つけていない.). ここまでに紹介した動画でも, 使われているものもあれば, 使われていないものもある. どちらかが正しく, どちらかが誤りとは, 私は言わない. しかしながら, グラーシュやグヤーシュをキャラウェイとは全く風味の異なるクミンを使うことが特徴の料理だと紹介することは, 2つのスパイスの風味の違いを知らないか, 実際の料理を賞味していないか, スパイスの名前を知らないか, 少なくともこれらのどれか1つの理由があり, 料理に対する無関心さを表している. 残念なことに, チェコハンガリーの情報を専門に発信すると称している日本語のWebサイトですら, この誤った情報を紹介しているものがいくつも見られた.


言語面での細かい解説

キャラウェイの学名は carum carvi で, クミンの学名は cuminum cyminum であり, 植物学的にはどちらもセリ科だが属は異なる.


チェコ語でのキャラウェイとクミン

チェコ語での用法を細かく説明すると, 以下のようになる.

  • kmín (クミーン) は通常は英語で言う caraway, つまりキャラウェイ (carum carvi) を指す.
    • 特に挽いていない完全な状態, つまりいわゆるキャラウェイシードは, celý kmín (ツェリークミーン) と表現される. チェコ語は語順が柔軟に変換するため, kmín celý という表現もあり得る.
  • český kmín (チェスキークミーン) はキャラウェイ, 特に国内産のものを指す.
  • černý kmín (チェルニークミーン, 黒いクミンという意味) はキャラウェイ全般を指す.
  • římský kmín (ジームスキークミーン, ローマ人のクミンという意味) は, 英語では cumin, つまりクミン (cuminum cyminum) を指す.
  • šabrej kmínovitý (シャブレイクミーノヴィティー, 直訳すると「キャラウェイのサーベル」) は, クミン (cuminum cyminum) の別の呼び方である.

ウィキペディアチェコ語版の記事を機械翻訳するとめちゃくちゃになる, このページは本来クミンを紹介しているはずだった


ハンガリー語でのキャラウェイとクミン

ハンガリー語では, キャラウェイ (carum) は fűszerkömény (フィーセルクメーニ), あるいは単に kömény (クメーニ) と呼ばれ, クミン (cuminum) は római kömény (ローマイクメーニ) と呼ばれる. こちらも「ローマ人のクミン」を意味する言葉なので, チェコ語と語源が同じなのだろう.

ウィキペディアハンガリー語版のキャラウェイの項目を機械翻訳した際の惨状, 唯一残った学名から, 本当は何を指しているのかを特定できる

さらに, ドイツ語ではキャラウェイのことを Kümmel と呼ぶ. ドイツ語でも紛らわしい.


結論

これまでの話の要点を改めてまとめる.

クミンとキャラウェイは全く香りが異なるため, どちらを使うかで料理の風味は全く異なる. そして, グラーシュもグヤーシュも, キャラウェイを使うことはあってもクミンを使うものではないことがわかった.

チェコのグラーシュにはクミンではなくキャラウェイを使うべきという説には, 以下のような根拠がある.

  • チェコ人から実際に, キャラウェイをまず使わないという趣旨の回答を得た.
  • チェコで実際の食べたグラーシュは, どれもクミン臭のするものではなかった.
  • 日本語以外のWebサイトでは, 機械翻訳が誤訳している場合を除きクミンを使うとは紹介されていない.

ハンガリーのグヤーシュにはクミンではなくキャラウェイを使うべきという説には, 以下のような根拠がある.

  • ハンガリー大使館の紹介するレシピでは, キャラウェイを使うレシピが紹介される.
  • 日本語以外のWebサイトでは, 機械翻訳が誤訳している場合を除きクミンを使うとは紹介されていない.
  • むしろクミンを使うレシピは機械翻訳による誤訳だ, とはっきり訂正する者を何度も観測している.
  • 知り合いにハンガリー人がいるような近隣国の住人からも, 普通はキャラウェイを使うものだ, という趣旨の回答を得た.

ただし, グヤーシュにはキャラウェイは必須ではない.

最後に, キャラウェイをクミンと間違える原因として (1) 機械翻訳を鵜呑みにした, (2) 実際に作ったことがないので味も知らず, 受け売りのみである, (3) 現地の言語を解していて正しい味付けも知っているが, 日本語の用法に詳しくないか, 元々料理にそこまで関心がなかったなどの理由で日本語での呼び方を間違えている, といったものが考えられる.


*1:英語では Goulash という表記がなされることが多いが, 英語圏ではどういう料理とみなされているのかは知らない.

*2:その他にも, チェコ人は豚肉が好きなのでグラーシュも豚肉のグラーシュが存在し, 本来のものに近い牛肉を使うグラーシュは, しばしば hovězí guláš (ホヴェジーグラーシュ, 牛肉のグラーシュ) と呼んで区別される, という違いがある.

*3:ただし, グヤーシュの場合はパプリカを使用することが重要で, 「クミン」は必須ではない. グラーシュでキャラウェイを使うのはチェコ人の手癖によるところが大きいのかもしれない.

*4:だが, 代用可能と言っても, 辛いパプリカパウダーを同量のチリパウダーなどに置き換えるべきではない. 日本国内で出回ってる唐辛子では, おそらく辛すぎる. 小さじのさらに1/4か, 「耳かき1杯」程度で十分だろう.

*5:この情報の開示が信憑性にどの程度寄与するかは分からないが, 彼は以前は自宅で飲食店を開いていたらしい.