Sarmaticus

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スーパーの特売品の使い道を求めて古代メソポタミア料理「𒌅𒌔𒌑」に至った話

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概要

結論: 余ったビーツを使おうどころの話ではなくなった. 1000年単位のずれが時間の感覚を麻痺させる

導入

スーパーでやたらとビーツが安かったので買った. 普段は生のビーツが1個400-500円もするのだが, その日は2個で300円だった. しかしボルシチはもう飽きてきた(気温も上がってきたし熱いスープは食べたくない).

で, 以下のようなレシピを試した

東ヨーロッパ風ポテトサラダ


「ポテサラ論争」なるバズワードがあったらしいが, 私は特に興味がないのでなんのことやら.

軽く火を通したジャガイモとビーツにマヨネーズをかけただけ.

このアドバイスを参考に作った.

シャルティバルシュチャイ (Šaltibarščiai)




リトアニア料理で, 「冷たいボルシチ」という意味. ベラルーシではхаладнік (単に冷製スープの意味), ポーランドでは Chłodnik litewski (リトアニア風冷製スープ)と呼ばれるらしい. ボルシチとは言っているが, ウクライナ/ロシアで食べられるボルシチとはあまり似ていない(むしろオクローシカに近い). ロシア語のウィキペディアでも素っ気ない記述しかないので, ロシア起源の料理ではなさそう.

このような料理を試したのだが, まだビーツは残っている.

四千年前のシチュー

いろいろググった結果, 古代メソポタミア料理にたどり着いた. このレシピはBC1730年以降に粘土板に書かれたもので, もし1730年頃ならばバビロン第1王朝のハンムラビ王の時代に書かれたものということになる. 翻訳されたレシピはほとんど材料しか書かれておらず, 分量はおろか手順も詳しくない. そもそも材料もどういうものなのかわからないものが多い. Barjamovic et al. (2019a)らは想像で補いつつ, このレシピを再現した(それ以前にBottéro (2004)が古代メソポタミア料理についてまとめているが, こちらはまだ読んでいない). これに関する話はLassen, Frahm, & Wagensonner (2019)の9章に収録されているが, 記述は1ページ程度しかないためこれだけのために無理に買わなくともよいだろう. とりあえず, 著者らBarjamovic et al. (2019b)の投稿したブログ記事を読めばおおまかなことはわかる. また, 大学では料理教室も開かれていた. この中で, ビーツを使った羊肉のシチュー「𒌅𒌔𒌑(tuh’u)」を今回作ってみた.

www.youtube.com


なお, 研究者以外にもこのレシピに挑戦している人間たちがいるので紹介しておく.

    • 考古学の専門家ではなく 「コロナウィルスで外出制限中暇だったから」作ったらしい
  • 音食紀行
    onshokukiko.com
    • 過去にあった古代メソポタミア料理イベント(今回のレシピも再現したかは不明)

  • e-food.jp

レシピ

基本的には Barjamovic et al. (2019a) の記述に基づいて作ったが, 日本では手に入りにくい材料もあるため多少アレンジしている.

材料

  • 羊の脚肉: 450 g
  • 羊の脂: 120 ml
  • ビール: 240 ml
  • 水 120 ml
  • 塩: 小さじ 1/2
  • 玉ねぎ: 小1
  • ルッコラ: 120 ml
  • ペルシャシャロット: 1
  • 生のコリアンダーの葉: 240ml
  • クミンシード: 小さじ1
  • 生のビーツ: 450g
  • ネギ 120 ml
  • クラト(中東の葉ネギ): 120 ml
  • ニンニク: 2欠片
  • 乾燥コリアンダーシード : 小さじ2杯

ネギや葉物まで ml で指定されているので, 分量は各自の裁量で良いだろう. 原典にも書いてないのだから. さらに材料に関する補足をすると, 特に難しいのが「ビール」「ペルシャシャロット」「クラト」の調達である.

「ビール」は現代と古代メソポタミアとでおそらく全く作り方が違う. Damerow (2012) が当時のビールの製法について書いているが, これはメソポタミアからだいぶ離れたシリア北部で出土した什器から推測したものであり, 当時のバビロンも同じであったかというと必ずしも保証はできない. とりあえずこの説に従うなら, ホップは使わず, 大麦と水を混ぜ, 上面発酵させたビールが必要になる. しかしそんなビールはたぶん日本のどこにも売っていない. ベルギーにはホップを使わないビールを作る工場があるらしいが, 今日本で取り扱っている業者はいなさそうだ. そこでBarjamovic et al. (2019a)の記述にしたがい, ドイツ風の白ビールを使うことにした. 白ビールはホップや小麦粉を使っているが, 上面発酵で製造される. 逆にIPAなどホップの苦味の強いビールは向いていないらしい. 今回はベルギーのビューガルテンを使用した. 材料にオレンジの皮が含まれており, これはおそらく当時のメソポタミアには存在しなかったろうが, 一方でコリアンダーはすでにシチューの材料にも指定されているから合いそうである.

ペルシャシャロットはどういうものなのか食べたこともない. 仕方ないので普通のシャロット, いわゆる「ベルギーエシャロット」を買ってきた.

最後のクラト(kurrat/spring leek)も全くわからない. 中東で広く栽培されており, 現地では生食されることもある, と書かれているので, 青ネギやニンニクの芽で代用した.

羊肉が苦手or高いと感じるなら, 食感の似た鶏肉でも良さそう である. それ以外はだいたい家庭に常備してあるか, スーパーで手に入るものがほとんどだろう. 少なくとも私はクミンシード, ニンニク, コリアンダーシードは常備している.

コリアンダーシードは, コリアンダーの葉にレモンの匂いを混ぜたような風味である. もしコリアンダーシードを入手しづらいか, どうしても買いたくないというのであれば, レモンの皮をすりおろせば匂いだけは近いものができると思う.

材料の一部

作り方

  1. まずは羊肉を角切りにする. 脚の肉と書いたが, 私は安いショルダーを使った. 角切りにしながら脂身を切り取り, 脂身だけ先に水とともに鍋に入れて火にかけ脂を溶かし出した (つまり, ラードを作るのと同じ要領で脂肪分だけ取り出している).

  2. 次にこの脂で肉を炒める. 先に紹介した動画では鉄鍋を使っているが, 青銅器時代には鉄鍋がないだろうから土鍋で調理した. 軽く焦げ目がつくまで強火で炒める.

    肉を炒める

  3. みじん切りにした玉ねぎを混ぜ, 玉ねぎに透明感が出るまで炒める

    玉ねぎも炒める

  4. ビーツも角切りにする. ビーツの表面の黒い部分は固く繊維質なので, 皮を厚めにむいておく. 鍋に入れる.

    ビーツも加える

  5. クミンシード, 粗く切ったネギ, ルッコラ, コリアンダー半分を混ぜ, 香りが立つまで待つ

  6. ビールと水を注ぐ

  7. 潰したorすり下ろしたニンニクをかける

    全ての材料を投入

  8. 弱火にして1時間ほど煮込む. ビーツの色素は熱分解するため, もし生でなく缶詰(=水煮)のビーツを使うとここで色が抜けてしまい, 見た目が悪くなると思われる. むしろこの1時間というのは, 生のビーツの色が抜けないラインとして指定しているのかもしれない. なお土鍋は保温性能が高いので, 本当に弱火で十分である. 私は激しく沸騰しないような温度で煮込み続けた.

    1時間後

  9. 塩を加えよく混ぜる. 実は塩を加えるのを忘れていた (参考にしたレシピにも材料として指定されているがいつ使うかを書き忘れている). 1時間の煮込みで肉と野菜の味が染み出しているので, あまり塩は必要ないからさほど気にする必要はなさそうだ.

  10. 皿に盛り付ける

  11. 残りのコリアンダーとネギをみじん切りにし, コリアンダーシードはすりつぶし, 上からかける

  12. 蒸したひき割り麦かひよこ豆, あるいは「ナン」と一緒に食べる. 「ナン」については後述.

  13. 完成

補足

プロトタイプボルシチ?

動画でもこれは「ボルシチのプロトタイプ」と発言している. 実際ヘブライ人が古代メソポタミアの料理を各地に伝えた可能性があるが, 単にボルシチが有名だから引き合いに出しただけの気もする. 実際, 現代のイラク周辺や, 北アフリカにもこのシチューに似たレシピが存在するらしい. なお私の知識の範囲では, コリアンダーの葉・コリアンダーシードを大量にかけるのがなんとなくジョージア料理っぽいと感じた. 例えば最近有名になったシュクメルリとか.

古代メソポタミアのパン

「ナン」と書いているが, インド料理のナンではなく, イーストを大量に使い発酵させる現代的なパンではなく, ナンのようなパンという意味だと思う. しかし古代メソポタミア文明といっても何千年続いているため, 文化も料理も移り変わっている. 古シュメール時代は無発酵の煎餅のようなパンだったかもしれないが, 紀元前1900年頃の粘土板には, 発酵パンと思われるレシピが登場している(redditの投稿によると Bottero がそう書いているらしい). 詳しいレシピは不明だが, 日本のスーパーで売ってるやたらと軽くて柔らかいパンと違いサワードウを使ったパンのほうが近いかもしれない. そこで, 今回は自家製サワードウでパンを作っておいた. ただし, サワードウはライ麦で, 薄力粉を混ぜて生地を作った. 当時はエンマー麦や大麦が主流だったという指摘もあるが, パンだけのためにわざわざ買うのも面倒なのでそこは妥協した.

ちゃんとしたオーブンがないため, 投石機の弾のようなパンが出来上がった.

自家製サワードウ
固すぎる

参考文献


  • Barjamovic, G., Gonzalez, P. J., Graham, C. A., Lassen, A. W., Nasrallah, N., & Sørensen, P. M. (2019a). Food in Ancient Mesopotamia: Cooking the Yale Babylonian Culinary Recipes. In Ancient Mesopotamia Speaks: Highlights of the Yale Babylonian Collections (pp. 109–125).
  • Barjamovic, G., Gonzalez, P. J., Graham, C. A., Lassen, A. W., Nasrallah, N., & Sørensen, P. M. (2019b, June). The Ancient Mesopotamian Tablet as Cookbook. Ancient Mesopotamia Speaks: Highlights of the Yale Babylonian Collections. Retrieved from here
  • Bottéro, J. (2004). The oldest cuisine in the world: Cooking in Mesopotamia. Chicago: University of Chicago Press.

  • Damerow, P. (2012). Sumerian beer: The origins of brewing technology in ancient mesopotamia. Cuneiform Digital Library Journal. Retrieved from here
  • Lassen, A. W., Frahm, E., & Wagensonner, K. (Eds.). (2019). Ancient Mesopotamia speaks: Highlights of the Yale Babylonian Collection. New Haven: Peabody Museum of Natural History, Yale University.