Sarmaticus

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剣の修行の旅に出た時の日記 (2024/2/12-17, ポーランド)


はじめに

ウィーンのDreyneventの最終日の打ち上げの会食後にすぐウィーンHbfに向かって再び EN Chopin に乗る. 3日間ほぼブリギッテナウから出なかったので, まだウィーンの鉄道網がよくわかってないので余裕を持って出たつもりがわりとギリギリの到着だった. なんでトラムの路線にあっちこっち折り返しがあるんだよ… 夜行列車の方は3日前に乗ったばかりなのでもう勝って知ったる我が家状態だった. だが今回はキャビンの水道もトイレも水が流れなかった. 去年も紅茶をくれと言ったのにコーヒーが出てきたし, やはり PKP はどこかいい加減なところがある. ヨーロッパではこの手のトラブルはありふれたことだとは思うが, 最初の海外旅行でチェコに行ってČDの対応の丁寧さを体験してしまったので, どうしても他国の鉄道にも同じ基準を課してしまう.

ところで, 2/11にウィーンからEN Chopinに乗って私と同室して翌日クラクフで降りた人へ, 冬休みを利用して海外旅行してる日本人大学生バックパッカーっぽく見えなくもないなーと思ってたけど非常に疲れてる上に翌日も練習があるので特に詮索もせず終始塩対応してしまった. 悪かった. もし彼がほんとうに日本人で, 偶然ここを見たときのためにここに書き残しておく.

ポーランドでは3つの流派からレッスンを受けた. 最初は1つだけの予定だったが, なんか向こうがどんどんセッティングしてくれて結果3つの流派を巡った上にいろいろ寄り道する旅程になった.


Silkfencing (クラクフ)

インストラクターの Miklaszewski 氏のYouTube動画を以前からいくつも見ていたので, いつか直接話しを聞きたいと思っていた. ちなみにこの団体が販売しているシンセティックサーベルは既に持っている. ポーランドのサーベル剣術家ということで, Hellish Quart に関する質問をして, このゲームに関する感想もいくらか引き出すことができた. それは別の機会にどこかに書くだろう.

Miklaszewski 氏はトーナメントプレイヤーであるが, 古い武術書を参考に戦い方を構築しているという, 比較的珍しいアプローチを取る人物である.


ジム内部

練習では, 金属剣以外にもウレタンの棒で単純な攻防のスパーリングをするなどしていた. 攻撃防御の切り替えのための前後移動を膝の屈伸だけで行うフットワークが印象に残った. 攻撃の軽さは確かに競技向きの動きという気がするが, 現代フェンシングのサーブル剣よりはずっと重いので, 私は腕の動きが遅れていると何度も指摘された.

さまざまな時代の剣のレプリカ

ところで, 残っていた日本のお菓子をお土産として渡そうとして, 無印の苺チョコとタフグミを見せてどっちか好きな方選んでと促したら, 「無印のやつは食べたことあるからこっちを試してみよう」と言ってタフグミを選んだ. なにっ


Signum Polonicum (ヴロツワフ・ザビエルツィエ)

創始者が現在ザビエルツィエに住んでおり, シロンスク・下シロンスクのいくつかの都市に支部がある. 私は主に, ヴロツワフ支部の方から教わっている. 今回3つもの流派から教わることができたのも, この方の厚意によるところが大きい.

3つの団体の中では一番教育カリキュラムが整備されていて, 最初はpalcatと呼ばれる木刀, といってもほぼまっすぐな木の棒で延々と形稽古をする. 17世紀当時は, 騎士階級に生まれた人間は, 子どもの頃から鍛錬するというから, 子供でもできる訓練を念頭に置いてこういうカリキュラムになっているらしい. なお, このような伝統に則ると, palcatでひたすら訓練し, palcatが折れて初めて一人前と認められ, 本物のサーベルを与えられるという習慣だったらしい. そういうわけで, まだ初歩的な動作ばかり反復練習している状態だが, この基本動作が徒歩戦闘と乗馬戦闘どちらにも転用できるように生きてくるらしい.

練習風景, 相手してるのはウクライナから疎開してきた高校生とかだったと思う

ついでにヴロツワフ郊外にあるブリュッヒャー将軍の邸宅を改装したホテルに宿泊できることを教えてもらったり, 観光に関する有益情報も教えてもらった. ヴロツワフ近郊のクロビェロヴィツェ村にあるため, 現在は Pałac Krobielowice と呼ばれている.


Pałac Krobielowice
Kolacja

衣装がまだ揃っていないので買いたいと話したら, 衣装職人を紹介してもらって現地で採寸と注文をした. ブロツワフで行われていた農家のデモの影響で遅刻気味だったのだが, 30分の滞在時間を予定していたのに1時間以上注文に関してレスバしていた. つまり, 衣装に初歩的な下調べしたがポーランド語はまだあまり話せない私と, 衣装その他にも全般的に詳しいが必ずしも専門家でない現地の武術家と, 英語があまり得意でない歴史衣装の専門家の三つ巴のバトルである. 衣装職人が持っていた本を私も持っていたため, 「この本に書いてあった!」でなんとか話を通せた. 特にそのうちの一冊である Historia Ubiórow は「我々の業界では聖典のようなもの」と言っていた.

職人の作業場

カードやPayPalで支払いができないため, 銀行口座経由で送金するしかなかったが, 手続きがわかりにくすぎるので, 結局6月に再び現地へ行って現金を渡して回収することになった.


Sztuka Krzyżowa (Cross Cutting Art, ワルシャワ)

この流派はSieniawski親子が中心となっている. 今回は長男? の Bartosz 氏のレッスンを受けることになった. 道場のようなところでやるのかと思っていたが, Googleマップで共有された居場所はどう見ても住宅街だった. 本当に合ってるのかとても不安に思いながら向かったところ, 果たしてどこに住んでるのかよくわからなかったので本人に電話をかけて尋ねることにした. 念の為に通話枠のあるSIMカード買っといて良かった. 結局, 道場やジムではなく, 本人の自宅でレッスンをした. 内装的に, YouTubeとかに上げる動画もこの多分部屋で撮影しているのだろう.

この人のレッスンは終始金属剣でなされた. この人のスタイルは力強い斬撃が基本であり, まず強力な斬撃がいつでも出せるような姿勢を維持するフットワーク練習から始まった. スパーリングも当然のように全力である. 手がしびれた上に帰りの飛行機で悪夢にうなされた.

フットワーク練習で重要な十字の印
いちおうロゴ付きのpalcatもある. 使っているのを見たことはない

YouTubeのチャンネルがある.


ところで, Hellish Quart では彼の流派のキャラクターが登場している. ゲーム開発者が参考したことを動画で明言しているので, 公式設定ということになる. そこで彼にコメントを求めてみた. すると, 「勝手に作られたので私が監修しているわけではない」という衝撃の事実が明かされた…