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[KCD] キングダムカム・デリバランス 2019: クトナー・ホラ編

Published by DMM GAMES, © 2019 and developed by Warhorse Studios s.r.o., Kingdom Come: Deliverance® is a trademark of Warhorse Studios s.r.o. Co-published by Koch Media GmbH, Austria. Deep Silver is a division of Koch Media GmbH, Austria. Deep Silver and its respective logos are trademarks of Koch Media GmbH. Co-published in Japan by ZOO Corporation. All other trademarks, logos and copyrights are property of their respective owners. All rights reserved.

イントロダクション

Warhorse Studios のビデオゲーム『キングダムカム・デリバランス』 (Kingdom Come: Deliverance, 以下, KCD) の聖地巡礼としてチェコへ行ったときの記録. 今回は5日目, 2019/5/5 にクトナー・ホラ (Kutná Hora) へ行った話.

  • セドレツ納骨堂
  • 銀山博物館
  • 聖バルボラ教会

クトナー・ホラの一般情報

クトナー・ホラ (DMM Games 版ではドイツ語風に「クッテンバーグ」表記) はプラハから東に50km 程度, コリーン (Kolín) の南東に位置する. ラッタイ (ラタイェ・ナトサーザヴヴォウ, Rataje nad Sázavou)から30 km 程度しか離れておらず*1, また当時は銀の採掘によりプラハに匹敵するほど繁栄していたため, ゲーム中で訪れることはできないものの, 頻繁に言及される. 例えば, ゲーム中にはクッテンバーグ製の甲冑が登場する.

アクセス

クトナー・ホラの主要な観光名所のうち, セドレツ納骨堂と聖マリア聖堂は郊外の離れたところにある. 最も近い駅はクトナー・ホラ=セドレツ駅 (Kutná Hora-Sedlec) だが, 乗り換えの面倒さ*2から, プラハから来る場合はクトナー・ホラ本駅 (Kutná Hora hl.n.) から歩いたほうが早いだろう.

一方で, 聖バルボラ教会や銀山博物館などは, 丘の上にある歴史地区に集中している. こちらはクトナー・ホラ ムニェスト駅 (Kutná Hora město) が近い. 今回私は, まず本駅で降りてセドレツ納骨堂を見学し, それから市街地を歩いて歴史地区まで移動し, その後ムニェスト駅からプラハに戻った.

往路で列車がクトナー・ホラに近づくと, 急に近くの席に座っていたおじさんが「あんたもしかしてクトナー・ホラに行くのか? もう数分で着くぞ.」と英語で話しかけてくれた.

先日に続き, この日も午前中は天気が悪かった. クトナー・ホラ本駅で降りると, 目の前に中華料理店があった. ただし早朝なので開いていない. このとき同時に降りた乗客はほとんど全てセドレツ納骨堂が目当てだったようだ. 道なりに進ん納骨堂に向かう.

クトナー・ホラ本駅
クトナー・ホラ本駅の向かいにある中華料理店

セドレツ納骨堂 (Sedlec Ossuary)

セドレツ納骨堂の公式サイトには, 以下のように書かれている.

The tickets in Sedlec are not for sale in the monuments. You can purchase the tickets at the Ticket office near by information centre in Zámecká 279. The Ticket office is closing 15 minutes before monuments closing hours!

Ossuary | SEDLEC


入場券を売っている場所が納骨堂から少し離れていることに注意してほしい. これも上記の公式サイトを見れば分かるが, 本駅から歩いてきた場合, 納骨堂の手前の観光案内所でチケットを販売している.

なお, 撮影はしなかったが, 案内所から納骨堂への途上にはレゴ博物館なるものがある.

私がセドレツ納骨堂の存在を知ったのは, 高校生くらいの頃だったろうか. ヤン・シュヴァンクマイエルの作品を見て知った. いつか行ってみたいと思いながら長い年月が過ぎた.

納骨堂はさほど広くはない. また, 骨には触れられないように金網が設置されている. さらに手を金網に近づけるとブザーが鳴るようになっているが, 居合わせた観光客の1人が接写しようと自撮り棒を伸ばしていたため, 何度もブザーが鳴ってうるさかった...

セドレツ納骨堂内部

説教壇らしきもの. ここでも説教が行われたのだろうか?

入り口では土産物も売られている. ポストカードやTシャツ, 金属細工などがあった. 私は Tシャツを買った.

セドレツ納骨堂の近くには聖マリア教会という, こちらも有名な教会があるが, 日曜日は開放されるのが午前11時以降だったため, 見るのは諦めた.

聖マリア教会

歴史地区

ここから歩いて旧市街地へ向かう. バスや電車もあるが, 待ち時間を考えると歩いてもさほど変わらないと判断したからだ. 観光地だけでなく, 日常風景を見ることもできる.

歴史地区への道

「駐車禁止」

やがて旧市街地へ辿り着く. アスファルト舗装がプラハのような石畳に変わり, 入り組んだ路地と坂道が増え, 歴史を感じさせる.

クトナー・ホラ歴史地区

まずは銀山博物館を目指した. 区画整理されていないので方向感覚が狂いやすい. グーグルマップをこまめに確認して現在位置を確かめながら進んだ.

銀山博物館 (České muzeum stříbra)

クトナー・ホラ歴史地区で「銀山博物館」という施設は3箇所あるようだ.

  1. 小城 フラーデク (Hrádek) 単に銀山博物館といえばここを指すと思われる.
  2. 石の家 カメンニー・ドゥーム (Stone House; Kamenný dům)
  3. Tyl の家 (Tyl House; Tylův dům)

その他, イタリア宮殿 (Italian Court; Vlašský dvůr) という建物もある. これは元々銀貨製造工房として建てられたものだが, 後に国王の別荘になった. 現在は博物館兼市庁舎兼イベントホールとして使われているらしい.

イタリア宮殿の外観. 右の像はトマーシュ・マサリク.

石の家

今回は Hrádek のみを訪れた. これは直前に行われた DMM Games スタッフとゲームメディア関係者の旅行で知った場所だ. 彼らは銀鉱山探索ツアーにも参加したようだが, 銀鉱は狭く, 滑りやすいので危険である. よって, 安全のため, ガイド同伴のツアーでしか入ることができない. 銀鉱山探索ツアーは90分ごとに開催されるらしいが, ほとんどはチェコ語で, 英語のガイドは日に2回程度しかない. チェコ語ガイドでは万が一の際の意思疎通に問題があると考え, 英語にしたかったが, 待ち時間が惜しい. 結局博物館の見学のみにした.

www.inside-games.jp

なお, 博物館内はフラッシュを使わなければ撮影しても良い. ただし, 個人利用のみ許可され, オープンな SNS などには投稿しないでほしいとのこと. よって, ここでも画像は出せない.

銀山博物館の窓から

15世紀のクトナー・ホラで算出された銀はグロシュ (グロッシェン) 銀貨に加工され, チェコで流通した. 鋳貨は国家に不可欠な産業だったので, 当時のクトナー・ホラプラハに匹敵するほど繁栄したと, ゲーム中の写本 (Codex) には書かれている.

クトナー・ホラは銀で繁栄したが, それは同時にその富を狙う外敵の危機にも晒されるということでもある. クトナー・ホラは何度も略奪を受けた. ハンガリー王ジギスムント (Sigismund) もまた略奪を行った人物である. 当時の戦乱の様相を伝える資料も展示されていた.

もちろん, 銀貨も展示されている. カールIV世 (Karel I; Karl IV; DMM Games 版では「チャールズ」) やヴァーツラフIV世 (Vaclav; Wenceslaus; DMM Games 版ではヴェンセスラウス) の治世に製造された銀貨も展示されていた. 実際には銀貨は非常に高価で, 1枚あれば成牛1頭を買える, というレベルである (先日のブルノのガイドの説明より). それでは日常の買い物には不便なので, より小さな補助通貨が利用されることが多かった. よって, 同じ時代でも大きさの異なるコインが流通していた. 展示されているコインも, ヘンリーたちが使ったことがあるかもしれない.

銀貨はこのようにとても高価なので, 通貨の偽造は重罪であり, また偽造されないように注意が払われた. コインに模様を彫るための型は厳重に保管される. 博物館には, 銀貨の型を保管するための金庫も展示されていた. 何重もの施錠ができるようになっているという.

また, 当時の銀山を警護していた兵士の装備も展示されていた. 作中に登場する衛兵たちの装備とそっくりだった.

クトナー・ホラで購入したチケット

聖バルボラ教会 (Chrám svaté Barbory; St. Barbara’s Church)

聖バルボラ教会への坂道

聖バルボラ教会の道中のレストラン. プレスチームが訪問していたらしい.

聖バルボラ教会への道

聖バルボラ教会

現地で食べた昼食

聖バルボラ教会は, クトナー・ホラで最も有名な観光名所だろう. 現在のクトナー・ホラは人口4万人程度の小さな町だが, この大きな教会は, 中世にこの地域が銀山によっていかに栄えたかを物語っている. 聖バルボラ (バルバラ) は鉱山の守護聖人である. 建設は14世紀末に開始されたが, フス戦争を始め度重なる戦乱によって工事が中断され, 結局完成したのは19世紀になってしまったという. そのため, 部分によってゴシック様式だったり, バロック様式だったりする. 内部では, 建設の過程が図解で展示されていた. プラハ城の聖ヴィート大聖堂にも匹敵するほどの規模だが, 銀鉱の枯渇が原因か, これでも最初の計画からだいぶ縮小したらしい (斜面に沿って建っているので, 個人的には, これ以上大きくしたら地盤が心配だ.).

聖バルボラ教会の身廊

聖バルボラ教会の側廊. ロシア人の団体観光客が居合わせたので混雑していた

説教壇

聖バルボラ教会の内陣

プラハ

クトナー・ホラは小さな街ながら, 見どころが多かった. しかし, 初日でのんびりしすぎて肝心のプラハ市内をあまり観光できていなかったため, 昼過ぎにプラハへ戻った. 帰りはやたらと人が多く, まったく座ることができなかった.

銀貨に関する薀蓄

銀山博物館に置かれていた英語パンフレット*3に書かれていたことをいくつか紹介する.

グロッシェン (グロシュ) 銀貨は, 裏面にラテン語で ”GROSSI PRAGENSES“ と彫られていることから, 「プラハ・グロッシェン」が正式名称である. しかし実際にはクトナー・ホラで製造されていた. 初期のごく短い期間だけプラハで製造されていたためにこの名前が付いたという学説が紹介されている. グロシュ銀貨は, 狭義には最も価値のある銀貨のことで, 1枚あれば家畜1頭まるごと買える, というものである.

現代の5円硬貨, 現代の50コルナ硬貨, 14世紀のグロッシェン銀貨のレプリカ

なお, これは現地で購入したグロッシェン銀貨のレプリカである. 裏面の尾の分かれた獅子のレリーフは, 現代のコルナ硬貨にも受け継がれている. 表面には王冠が彫られ, その周りには以下のようなラテン語が彫られている.

DEI REX GRATIA BOHEMIE
WENCESLAVS SECVNDVS

「神の恩寵のもとにボヘミア王たる, ヴェンセスラウス II世」と読めるので, これは KCD の時代より100年ほど前に在位したヴェンセスラウスII世 (ヴァーツラフII世) 時代の銀貨になる. ただし, 16世紀半ばにハプスブルク朝によって製造が停止されるまで, 銀貨のデザインは王冠と獅子で統一され, 王の名前だけが変わっていたようである.

グロッシェン銀貨の額面は大きすぎて日常の売買には使いづらかった. ゲーム中ではわかりやすさのためグロッシェンで統一されているが, 「0.1 グロッシェン」といった金額は奇妙である. そこで, 現実の中世ではいくつか補助通貨が使われていた. ゲーム内の写本でもその点は指摘されているが, 具体的な話は省略されている.

1つ目はパルヴス (parvus) という通貨で, これはグロシュの銀貨の1/12の価値があるとされていた. グロッシェンを縮小したようなデザインで, 後には獅子が聖ヴァーツラフの胸像になった. 製造はヴェンセスラウスIV世の時代に終了したらしい. また, 1384年以降はグロッシェンの1/7の価値があるミンツェ (mince; coin) が製造された. 価値が低いため, 片面にしか模様が彫られていないという. さらにこの半分の価値を持つハレーシュ (haléř; heller)は, 最小の通貨単位である. 最も小さく, また模様も最小限で, 王冠のみが彫られている. なお, ハレーシュという名前の通貨は, チェコスロヴァキア共和国時代にも補助通貨として用いられていたようだ. ヘンリーや街の住人たちは実際にはこのミンツェやハレーシュを食料品や日用品の売買に使っていたのだろう.

その他, 14世紀前半のごく短期間に, 1/2 グロッシェンの額面の通貨も製造されたようだ. ヤン盲目王 (Jan Lucemburský; John the Blind, 1310-1346) の名前が彫られていることから, ヤン王の即位を記念したものという説もある.

その後, ハプスブルク家チェコの君主を世襲するようになると, これらの国の威光を示すためのデザインの新貨幣 (ターラー銀貨) が発行され, グロッシェンは額面の低い補助通貨として扱われるようになったという*4.

館内にはこれらの銀貨の実物も展示されていたが, 先ほど言ったようにここで公開することはできない. そこで, 無料パンフレットの一部のみ転載する.

銀山博物館のパンフレット

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kingdomcomerpg.games.dmm.com

一連の聖地巡礼記事

2日目は, ブルノへ行った
under-identified.hatenablog.com
3日目は, トロスキ城へ行った
under-identified.hatenablog.com
4日目は, いよいよ KCD の舞台となったサーザヴァ川流域へ行った
under-identified.hatenablog.com
初日と最終日の午後のプラハ観光のまとめ
under-identified.hatenablog.com
2023年にもう一度行った時
under-identified.hatenablog.com


*1:ノイホフの北にある街道を北上すれば, ウフリーシュスケー・ヤノヴィツェ (Uhlířské Janovice) を経由してクトナー・ホラへ辿り着くだろう.

*2:乗り換えだけではない. この駅は路線バスと同様に降車ボタンを押す必要があるので, 初心者向けではない.

*3:Zdeněk Petráň 著, Pavel Ladra and Petra Načeradská 監修 ”Coin Struck in Kutná Hora“

*4:ただし, グロッシェンは時代が下るほど銀の含有率が低下していたため, 貨幣の粗悪さを一新するという意図もあった