Sarmaticus

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キングダムカム・デリバランス 2019: サーザヴァ (ササウ) 編

Kingdom Come: Deliverance in 2019, trans-Sazava

イントロダクション

前回に引き続き, キングダムカム・デリバランス (Kingdom Come: Delivarance) の聖地巡礼の記録.
under-identified.hatenablog.com

2019/5/4 に KCD 聖地巡礼のメイン, サーザヴァ川周辺へ行ったときの記録. 今回訪ねられたのは, ノイホフ*1 (Neuhoff), ラッタイ (Rattay, 現地語ではラタイェ・ナトサーザヴォウ Rataje nad Sázavou) とタルンベルク (Talmberg; 現地語では Talmberk), ササウ (Sasau, 現地語ではサーザヴァ Sázava) である. ただし, タルンベルクは雨の中バスで通過したため, まともな写真を撮ることができなかった. 現地で撮影したものと, ゲーム中の同様の場所との比較画像を掲載している.
プレイ中の画面を大量に掲載しているので,
ネタバレ注意 (SPOILER WARNING) である. 全く何も知らずにゲームをプレイしたい, という人は, ゲームを一通りプレイした後で見て欲しい.

以下, 地名の表記をゲーム英語版のようにドイツ語準拠で書いているが, これは現地での発音と表記とはかなり違うので注意.

なお繰り返すが, 私は Warhorse Studios の関係者でも DMM Games の関係者でもない.

追記: 2023年に, 今回行けなかった場所に行ったので記録を公開した.

under-identified.hatenablog.com


ノイホフ (Neuhoff)

バスはノイホフには停車しないため走行中のバスから撮影した.

厩舎 (Horse Stable)

ノイホフの厩舎

ラッタイ (Rattay)

壊れた車輪亭 (Broken Wheel Tavern)

壊れた車輪亭

東側の城門 (East-side Gate)

ラッタイ東側の城門

土台部分はゲームのものとそっくりだが, 上の建物はもっと後の時代のもののようだ. また, 城壁と城門は撤去されている.

仰角図


東の城門から南の丘方面へ


ノイホフ方面への街道

上城 (the Upper Castle)

上城だったところは現在は資料館や公会堂になってるようだが, 私が訪問したのは土曜日だったため閉館していた. ゲームの写本によれば, 上城は17世紀ごろにバロック様式の城館として再建されたので, 現在の姿はその頃のものなのだろう.

南側の城壁


西側の入り口

門の上に何か書かれている.

城の西側の入り口には金属製の看板があり, 解説が書かれていた. 帰国してからグーグル翻訳を頼りに日本語にしてみた.

門の上のラテン語の銘文は次のように訳されます. 「1675年, タルンベルク城主である輝かしきフランクチシェク・マクシミリアーン卿とその妻クストショヴナのエヴァはタルンベルク家が末代まで続くこと, ラッタイの城が廃墟から蘇ることを願う. この城を購入するものは誰であれ, どうか善きナザレ人として生きることを神に願う!」

城の中庭 #1


城の中庭 #2

右端に撤去された城壁の痕跡がある.

城の中庭 #3


城の中庭 #4

城の裏口


城内に貼られていた、クトナー・ホラを中心とした観光案内地図

街の広場 (the Town Square)


街の広場 #1


街の広場 #2


街の広場 #3

聖マタイ教会 (St. Mattew's Church)

聖マタイ教会の撮影位置は, ゲーム中ではちょうど肉屋のある場所なので, 同じ構図の画像を用意できなかった.

聖マタイ教会


聖マタイ教会にあるリーパ家の紋章

教会の塀にも解説文があったはずだが, どうやら記録するのを忘れてしまったようだ.

下城 (Pirkštejn Castle, the Lower Castle)

西側の城門


西側の城門, 内側から


城の塔

休日だからか, 自家用車で城を見に来る人がちらほらいた.

城門


日曜日の昼なら管理者に連絡して塔に入ることができるらしい


街の広場から

塔にも解説が書かれた看板があった.

ラッタイ (Rataje) は1900 年まではラタイェ・フラゼネー (Rataje Hrazené, 城壁に囲まれたラッタイ)という名称でした. 市壁は街と城の両方を囲んでいました. ラッタイ上城は現在の公会堂の場所に建っていました.上城の門は1890年まで存在し, その前の深い濠には橋が架かっていました. そしてここピルクシュテイン城は, 14世紀にリパーの領主 (訳注: KCDの写本によればハンス・カポン卿の父ヘンリー(ヒネク・プターチェク卿) ) によって建設されました. 現在は教区事務所となっています. 門には市章が描かれています.

現在は濠のあった場所は停留所になってるが, 100年くらい前まではゲーム中のような姿だったらしい. しかし, 門の市章というのはなんだろう? 見落としていたかもしれない.

外観 (Outside View)

南の小川から


西から

撮影場所とゲーム中の位置は以下のようになる。

ラッタイでの撮影場所一覧

一通り撮影し終えてたので, サーザヴァに行くことにした. 駅は街の西側の, ゲームでいう水車小屋や風呂屋のあたりにある. しかし, この路線は現在使われていないので, ここでもバスに乗ることにする. バス停らしき場所は2箇所あったが, 離れたところにあるほうは行き止まりだったので, 街に近い方のバス停で待った. しかしいつまで経っても来ない. もう一度奥のバス停に行くと, よく見たら時刻表に手書きでなにか書かれている.

ここに来るバスは村の中に停車することになりました (もちろんチェコ語で書かれている)」

いちおう直前に車掌さんに確認を取ったのだが, やはりうまく通じてなかったのだろうか. 車掌さんは親切だったが, 英語を全く話してくれなかったので自分は聞き取れた単語だけ繰り返して相槌を打つしかなかった. ジェスチャーでもなんでもいいからもっと確実な方法でコミュニケーションを取るべきだったか...
次のバスは1時間以上ある. ここで遅れると, これ以降の移動にも支障をきたす. 街に戻ると, また新しく下城を見学に来た現地の人たちがいた. 頃合いを見て男性に話しかけると, 英語で答えてくれた. とりあえず代わりにタクシーを呼んでくれないかとお願いしたが, 来てくれないようだった. タクシーの需要のない田舎だったからか, 言葉も通じるか怪しい日本人を乗せたくないからかはわからない. 他にもいろいろ質問して, 結局街のなかで次に来るバスを待つことにした. 男性にお礼を言って分かれる.
バスを待つのは退屈だったが, 現地の親子がバス停のある空き地でボール遊びを始めたので, 男の子がボールを取りこぼしたらたまに乱入してボールを捕ってあげたりしていた.

ラッタイの橋の下にあるバス停 (Google Map より)

タルンベルク (Talmberk)

ラッタイからサーザヴァ行きのバスは, タルンベルクを通過する. バスからタルンベルク城を見ることはできたが, タイミングが合わずにうまく撮影できなかった. 雨もひどかったのでタイミングがあってもうまく撮れたかはわからないが.

ササウ (Sasau)

バスでサーザヴァへ向かう道では, 右側に二度ほど聖堂を見ることができる. そのうち停留所に近い方のものを撮影してみた.

聖堂/A Roadside Chapel


サーザヴァ川の向こうの修道院

ゲーム中で宿屋のあった場所には, やはりホテル兼レストランらしき施設があった.

川のそばの宿屋

修道院

現在, 修道院は補修工事のため, あちこちに足場が組まれている. しかし, むしろ建設中だったゲーム中の雰囲気を出している.

撮影しようとゲームを起動すると, なぜかこちらでも雨が降ってしまう.

修道院と荘園


修道院の荘園


修道院の入り口


ヨハンカたちのいた宿舎

礼拝堂 #1


礼拝堂 #2


礼拝堂 #3


礼拝堂 #4


中庭の礼拝堂

2つの礼拝堂

また, 修道院の回廊内を見学することもできる. 入り口が開放されており, また受付の人が見当たらなかったため, 勝手に入って中を見ていた. 中に職員がいればそこで入場料を払うのだろうと考えた. 内部は確かにゲームそっくりだった. しかし, 少し入ったところで職員に制止されてしまった. どうやら閉館時間のために見回りをしていたので受付に誰もいなかったようだ. 以下のサイトを確認すると, 春季は 15:30 閉館と, ほかの観光地と比べて閉まるのが少し早い.

www.klaster-sazava.cz

もしこの記事を見て現地へ行こうと思う方がいるなら, この辺りは日本人は全く来ないと思うので, 現地の人に日本人に対する悪印象を与えないためにも, 事前によく確認して欲しい. なお, 当時そこにいた職員は英語で話してくれなかった.

だいたいこの辺で私も怒られた.


ちなみに私や DMM Games のプレスチーム以外にも修道院を訪ねた日本人はいる.

http://makimomo.com/sazava/makimomo.com

聖マルティヌス教会

聖マルティヌス教会

ここを撮影したあたりで, 激しいにわか雨が降り出した. 土曜日だからかあたりの飲食店もことごとく閉店しており, 雨宿りできる場所がなかった. スマートフォンも取り出せないほど酷い雨で, かなり不安を感じながらなんとかバスの停まった Sázava 駅まで逃げ帰った. ベンチが1, 2つあるだけの狭く古い駅舎だったが, 空調が効いており入った瞬間, 安堵した. 日本を出る直前に念のためと思って買った雨具がなければ, もっと大変なことになっていただろう. ちなみに買ったのはこれ.

www.muji.net

スカーリッツ (Skalitz)

スカーリッツとロヴナの様子も見てくる予定だったが, バスに乗り遅れた上, 服がすっかり濡れて、気温も下がっていたため帰らざるを得なかった。また、相変わらず雨が激しいため, 車内から外を撮影するのは難しかった. 駅はゲーム当時の市街地からやや離れたところにある. 銀山の東側の, ロヴナからササウへ南下する街道あたりだ. 写真は撮れなかったが, ゲーム中の丘陵地帯を連想させる地形だった.

スカーリッツの銀山跡?

帰路

チェルチャニ駅の地下通路

それでも足元はびしょ濡れで, 乾かす手段もなく, プラハのホテルにたどり着くまでずっと寒さに震えていた. そして, このような地域は外国人観光客が来ることを想定していないのだろう. さらなる罠が待ち構えていた. チェルチャニでプラハ行きの列車に乗り換える必要があったので, 車掌にプラットフォームの場所を確認した (彼は陽気で親切だった). しかし, チェコではダイヤが日本ほど厳格ではない. 直前で停車プラットフォームの変更があったらしい. 駅には電光掲示板があるのだが, 停車フォームだけ故障しており, しかも変更に関するアナウンスはチェコ語で1度放送されただけだった. ぼうっとしていたら乗り過ごしたに違いない.

プラハ本駅に到着し, ホテル行きのトラムに乗ると, たまたま到着したばかりの中年の日本人夫婦の観光客と出会った. 話を聞くと, どうやら二人は乗るべきトラムを間違えたようだ. プラハでは同じ乗り場からルートの違うトラムが発着するし, 日本と違い右側通行だしでたしかに間違えても仕方ないだろう. 私なんかこの直後にも2回乗り間違えたし, 日本国内でも間違えずにバスに乗れた試しがない. 二人を案内してあげる時間的余裕はあったものの, まだ寒くて震えており, 風邪でもひいたら大変なので本当に簡単なアドバイスだけをして別れた.

アクセス

繰り返すが, ゲーム中でラッタイ (Rattay) と呼ばれている町は, ラタイェ・ナトサーザヴォウ (Rataje nad Sázavou) という. すぐ近隣には ズルチュ・ナトサーザヴォウ (Zruč nad Sázavou) という町が, 南ボヘミア州のターボル郡にも Rataje という町があるが, 別物であるので注意. さらに, ポーランドにも Rataje という町がある. そのため, 行き先を間違えやすい. グーグルマップなどでルートを確認するときは注意.

トロスキ城編と同様に, マップを用意した.

drive.google.com


サーザヴァ川周辺は KCD に最も縁のある土地でありながら, 今回の旅行の中で最もアクセスが難しかった. 2019年5月4日当時, 鉄道工事のため, 一部区間が運休し, 代わりにチェコ鉄道によるバスが走っているという変則的な状況であった. 観光地として知名度もさほどないため, 英語の案内もあまりない. 現地のバス停にダイヤと発着場所に関する変更が手書き (もちろんチェコ語) で書かれているというありさまだった. この時点では, バスは街の中央の停留所 (ゲームでいうと東側の城門のあたり) にしか止まらなかった. プラハから行く場合, スカーリッツ (Skalitz; Stříbrná Skalice) から先に行く場合と, ラッタイから先に行く場合とで, 最短ルートが変わる. 前者の場合は北のコリーン (Kolín) でレデチコ (Ledečko) 行きの各駅停車に乗る. 線路があるのはウフリーシュスケー・ヤノヴィツェ (Uhlířské Janovice) まで*2で, そこからは代替バスに乗り換え (車掌もバスに同乗する), ラッタイまで行く. 後者の場合は, チェルチャニ (Čerčany) でサーザヴァ行きの各駅停車に乗り換える. 近くに停車駅のある街は, 他にはスカーリッツ, レデチコ (Ledetchko; Ledečko) とサモペシュ (Samopesh; Samopše) のみである. タルンベルクとウジッツ (Uzhitz; Úžice) そしてメルホイェド (Merhojed; Mrchojedy) 行きの公共交通機関はない. また, 休日は運行の頻度が減る. 各集落は直線距離では大して離れていないが, 蛇行するサーザヴァ川に阻まれるせいで, どうしても道のりが長くなってしまうため, 徒歩で移動するのはおすすめしない. そもそも, 歩道の整備されていない林道がほとんどで, また人通りもあまりないため万が一事故に遭えばかなり危険である.

当日使用したチェコ鉄道の切符

今回は, コリーンとウフリーシュスケー・ヤノヴィツェを経由して先にラッタイへ行くルートを取ったが, これは土曜日でダイヤが少なかったからである. できれば平日に行ったほうがスムーズに見て回れるだろう.

ウフリーシュスケー・ヤノヴィツェの中心部
ウフリーシュスケーというのは木炭あるいは石炭という意味らしい. 昔は木炭か石炭の産地として有名だったのだろうか.

また, 私以外にも観光用の地図を作成している人がいる.

www.mapotic.com


ja.foursquare.com

宣伝

6月27日発売予定の日本語版パッケージの公式予約ページ

kingdomcomerpg.games.dmm.com

すでに発売している北米版

Steam 版

store.steampowered.com

*1:現地は一面畑があるだけなので, 実際にはこういう地名はない

*2:作中でも, ヤノヴィッツという地名が何度か言及される. おそらく Janovice のことだろう. Janovice という地名はチェコに複数あるが, ゲームの場所と最も近い街はこのウフリーシュスケー・ヤノヴィツェである.