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中世ヨーロッパのスープ2種 - 汝異世界を欲さば異世界飯に備えよ #1 - SI VIS NAAROPAM, PARA CULINAM NAAROPAE -

概要

中世のヨーロッパはチェコのスープを2種類紹介する (そして現代の類似料理と比較する). どちらも私自身が試した. あなたも試みに料理していいし, 創作のネタにしてもいい. #1 とあるように続きも書く予定.

はじめに

かつてファイナルファンタジータクティクス(FFT)というゲームがあった.

ひもじい思いをしたことがある?数ヶ月も豆だけのスープで暮らしたことがあるの?

この言葉は多くのプレイヤーの印象に残り, 「豆のスープ」を再現*1しようとした者が多く現れた.


2009年の動画
www.nicovideo.jp


2016年の取り組み
togetter.com

最近放映されているファンタジーアニメ『八男って、それはないでしょう!』でも貧乏貴族が硬いパンと水のように薄いスープだけの食卓を囲むというシーンがある.

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Y.A 原作『八男って、それはないでしょう!』1話より

しかし私の経験から言うと, 鶏肉を茹でた残り汁に塩を加えただけでもスープとして飲めなくはない (さらに適当な野菜クズを混ぜればより味に奥行きが出る, 要は原始的なブイヨン)ので, 完全に水っぽい味のないスープばかり食べるという状況は珍しかったのではないだろうか*2.

では, 現実の中世に食べられていたのはどのようなスープだったのか, このようにひもじい料理ばかりだったのだろうか? 今回紹介するのは, いずれも中世のヨーロッパで食べられていたスープのレシピに基づくものであり, 私自身が試したレシピでもある. あなたも試みに料理していいし, 中世ヨーロッパ風ファンタジー創作のネタにしてもいい.

注意

私はファンタジー創作に対して細かい歴史考証の齟齬を指摘して悦に浸るという, いわゆるナントカ警察行為をしたいわけではない. たしかに歴史考証を厳密にすることは必ずしも作品の魅力につながるとは限らない. 一方で創作世界の描写をより奥深いものにするために, 現実の歴史に学ぶのは有効な手段の1つだとも思う.

スープ #1: レンズ豆のスープ

Random Innkeeper 氏がYouTubeで紹介する, 15世紀のチェコで食べられていたスープ. しかも豆のスープである.

www.youtube.com

英語がわからなくても自動翻訳字幕を見ればある程度理解できるが, ところどころおかしいので私が日本語字幕を用意した.

中世料理ガチ勢は道具も当時のものしか使わず再現しようとするようだが, 彼の動画はその辺柔軟に対応しているのでそこまで難しくはない. 加えて材料はレンズ豆以外にはベーコン, タマネギ, ニンニクと, 比較的安く簡単に入手できる. 彼は水の代わりにブイヨンを使うなど, スープを美味くするための工夫をいくつか紹介しており, 基本的に私はそれを参考にして作った. 私はビーフストックの代わりにマギーブイヨンを使い, ラードではなくバターを多めに使うとかなり濃厚な味となる*3ことを発見した. 見た目こそ地味だが, 現代でも通用する味だ.

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自作したレンズ豆のスープ
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具だくさんでより濃厚になった

しかし, 私はこの記事を書くため, 後日あえてダウングレードしたバージョンを作った. 「当時の貧しい人ならブイヨンを用意できないかもしれない」「コショウも大量に使えないだろう」という想像を膨らませて.

結果,

脂の味しかしない

水に脂を溶かしたような味になってしまった. ラードでなくバターならば香ばしい匂いになるのだが, 貧乏人は贅沢などできない. ラードとベーコンから溶け出した脂ばかりの, かなり無愛想な料理になってしまった. しかし毎日過酷な肉体労働に勤しむ農民であれば, 脂身は貴重な栄養源となる. なるほどこれは創作にでてくる貧しい中世の料理, 中世ディストピアのイメージだ. さらに, もし貧しくてベーコンも買えなかったとしたら……?これは想像するだけに留めておいた*4.


調理時は写真撮影しなかったので完成したものしかない. まあ上の動画を見れば何をやっているかはわかる.

レンズ豆は日本に暮らす我々にとってあまり馴染みがなく, スーパーにも置いてないかもしれないが, Amazonでも売ってたりする. 以下は今回私が買ったもの.


なお, 現代でも食されるチェコの伝統料理にもレンズ豆を使った料理チョチカ・ナキセロ (Čočka na kyselo)がある. こちらもけっこう美味しいし, 料理がそこまで難しくない. 紹介動画はいくつかあるが, ほとんどチェコ語である. 英語で紹介してるのは多分これだけ.

www.youtube.com

この動画では言及していないが, 酢で味付けしたレンズ豆のソースは炙ったベーコンやソーセージと相性が良い.

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自作した Čočka na kyselo

また, Čočková polévka (レンズ豆のスープ) というそのままな名前の料理もある. 材料としてニンジンやジャガイモが増えているので, 正統な後継者なのかもしれない.

注意

私はČočka na kyseloのレシピについて, YouTube等の動画サイトのほか, Faktor (2007)も参考にしている.

スープ #2: ニンニクのスープ

これは16世紀のチェコで食べられていたスープ. 16世紀は中世に分類されないことが多いが細かいことは気にしない.

www.youtube.com

こちらも私が日本語字幕を用意した (見返したらけっこうタイポがあった. 許してほしい).

Random Innkeeper氏は中世料理のレシピ本に書かれたとおりに作ったものと, 独自にアレンジした高級バージョンを紹介している. 後者も美味しいのだが*5, 今回のテーマ上, 前者を紹介する. 材料はニンニク, パースニップ, パン, キャラウェイシードそして塩コショウだけだ. どれも高いものではない*6ので, 庶民の食事と言っていいだろう.

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ニンニクのスープの主な材料
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ニンニクとパースニップを炒めるところ
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ちぎったパンを加えたところ
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ニンニクのスープの完成

肝心の味は, キャラウェイやパースニップという普段あまり馴染みのない食材を使うためか, シンプルながら異国感のある味がする. パースニップは煮てもあまり柔らかくならず, 一定の歯ごたえを保っており, また独特の甘みがある. 香りはニンジンと似ているが, 味はニンジンよりも自己主張の少ない上品な甘さである. 今回はキャラウェイを少し入れすぎたので薬湯っぽい感じになってしまった. このスープは良く言えば上品な味だが, Random Innkeeper氏が「二日酔いで他の食べ物を受け付けないときの料理」と評しているように, 悪く言えば「物足りない」料理である. 崩したパンを混ぜているため, 単なる水よりも気持ち満腹感がある程度で, メインディッシュにはならないと思う.

ヨーロッパでは人参よりパースニップのほうが安価なのかもしれないが, 日本ではほとんど栽培されていないため必然的にコストのかかる輸入品を買うしかないし, 取り扱っている店も少ない. 私が買ったものは人参の倍くらいの値段だった. ちなみにそのことをRandom Innkeeper氏に伝えると, 「根パセリで代用しても美味しいよ」とのこと. 残念ながら根パセリはもっと入手が難しい. パースニップは香りこそ人参に似ているが, 味と食感が結構違う. しかし入手がけっこう難しい*7ので, 無理だったら人参かカブで代用だろうか?

現代のチェコにも Oukrop(オウクロップ) または Česnečka (チェスネチカ; ニンニクスープ) と呼ばれるスープがあり, とても広く普及しているようだ. こちらはパースニップとパンくずの代わりにタマネギとジャガイモを使っている(ジャガイモはパンの代わりにという位置づけのようだ). Faktor (2007)によれば, このレシピの原型は14世紀の文献にも見られ, チェコの伝統料理の中でも最も古いものだという. 時代を経て少しづつレシピを変えて現代に至っているとしている. おそらく Random Innkeeper 氏の紹介したレシピもこれに連なるものだろう. タマネギとジャガイモという, 現代ではありふれた食材を使っていることからも, 長らく庶民の料理であり続けたことが想像できる. 現代には他にもニンニクを使ったいろいろなスープのレシピが存在するようだ.

溶き卵を入れるバージョン

www.youtube.com

英語で解説してる動画は以下. チーズや溶き卵も加えている.

www.youtube.com

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さっき残り物で作ったやつ

注意

ニンジンと違い, パースニップの葉や茎は毒を持つので食べられない.

まとめ

今回紹介した2種類のスープ料理は使用している食材から, おそらくは庶民でも口にできたと思われる. いずれも見た目の華やかさにこそ欠けるが, 断じて不味い料理ではない.

参考情報

私は最近こういうことを始めたばかりである. 中世料理の再現活動に関して日本国内にも私よりずっと年季の長い人たちがいるので紹介する. といっても私ごときのブログで紹介するまでもなく有名な人たちだが. そしてもちろん以下で紹介するのは一部である.

オールドアロウ

西荻窪にある中近世の英国タヴァン・パブ風居酒屋. もちろん全部が全部中世料理の再現ではない*8が, 中近世のイギリス料理を中心として日本国内ではあまり見かけない料理を提供している. 海外の珍しいクラフトビール蜂蜜酒(ミード)なども用意されている.

www.oldarrow.com

コストマリー事務局

woodruff.press.ne.jp

以前夏コミでレシピ本を買わせていただいたが, 中世後期~ルネッサンスの英仏伊のレシピが主だった. コミックマーケットで出品してるレシピ集は手に入れづらいが, 繻・コストマリー事務局 (2018)『中世ヨーロッパのレシピ』は新紀元社からの出版なので入手しやすい. この本にも別の「豆のスープ」の言及がある. ただし歴史的な背景の解説よりも現代日本でどう作るかという点を重視している(中世文化に関する豆知識はいろいろ書かれている). あと若干デザートのレシピに偏ってる(=必然的に貴族階級の料理が多くなる)気がする.

参考文献


*1:ただし, ゲーム中では具体的なレシピは明かされていないため, レシピは各自の想像に委ねられている

*2:FFT世界に関しては現実の中世のヨーロッパより都市化が進んでる (スラムが存在する) ようなので, 野生動物を捕まえるのが難しいのかもしれない. また, 茹で汁は常温放置すると数日で傷むので食中毒になりやすい

*3:ミキサーがないため, 豆の半分は煮崩れするまでじっくり煮た. レンズ豆は小さく, 水にも浸しているのでそんなに時間はかからない. 当時の人もミキサーを持たないのでおそらく, 一度水を切ってから乳鉢ですり潰したのだろう

*4:レンズ豆にもうま味はあるので豆を茹でて塩で味付けするくらいでもたべられないことはないと思う. 味は大幅に劣化するだろうし, 「数カ月も」はさすがにやりたくないが

*5:ただしこちらはミキサーが必要だ. 私は残念ながら持ってない

*6:「胡椒は金銀と等価」と巷ではよく言われるが, これはかなり誇張されている. 当時のヨーロッパで流通しているスパイスの中では胡椒はさほど高価ではない. これはいくつもの文献で言及されているが, とりあえず http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/Z052.htm を確認すると良いだろう. これはあくまで歴史考証の正確さのための補足である. 庶民の料理に胡椒を使うのが納得いかないのなら胡椒なしで料理してもいいし, 考証より味を重視するならいくらでも入れていい

*7:中世ヨーロッパの料理には普段日本の食卓で使わないものも多いが, 意外とAmazonなどで手に入ったりする. 特にスパイス・ハーブ類はだいたいある. そもそも日本とヨーロッパでは土壌が違うため野菜の味も違うという話はよく聞くので, 食材にこだわりすぎても仕方ないと思う.

*8:そもそも現在の英国のパブのスタイルができたのは近世~近代